正解:3息子が家へ帰ってくるなり、もう知らない人に優しくするのはこりごりだと言う。聞くと、駅の階段を大きなカバンと紙袋をさげてよろよろしながら上っていたお婆さんに、「荷物、もってあげようか。」と声をかけたら、「いいえ、結構ですよ。近ごろ持ち逃げなんてのもあるからね。」と言われたのだそうだ。 人 がせっかく親切で言ってやったのにと怒っている。 * ~なり:~やいなや。 こりごり:もう二度と繰り返したくない気持ち。 問:「人」とはだれを指すか 1. 息子 2. 知らない人 3. お婆さん 4. 筆者
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正解:3 「厳しい修養を積んだいわゆる聖職者だけが、聖書を読み解訳する資格があり、無学で信仰的に未熟な一般信徒は、神父の口を通してしか、聖書の言葉にふれてはならない。」と定めていた当時のキリスト教会の権威主義に他対し、「そういうことを 外側 から決めつけるのはおかしい。人間はすべて、法王も大司教も司祭も一般信徒も、万物の創造主である神の前に平等な一信徒であるべきだ。」と、マルチン?ルターは強く批判し抗議した。これが現在のキリスト教会を旧教(カソリック)と共に大きく二分する新教(プロテスタント=抗議するもの)の語源の由来である。 問:「外側」とは何を指すか。 1. 厳しい修養を積んだ聖職者。 2. 無学で信仰的に未熟な一般信徒。 3. 当時のキリスト教会の権威。 4. 万物の創造主である神。
正解:1、3 世間には、「のせ上手」の人がいる。たとえば、相手がしゃべりたくもないことをうまくリードして、いつの間にかその気にさせてしまう人である。 こういう人は案外、「聞き上手」な人に多い。大汗をかいて馬を引っ張って水飲み場に連れて行くのではなく、なんとなくお*をたたきながら、いつしか 自分 の意志で馬を水飲み場へ行かせてしまう人なのだ。 友人にあとで悪く思われることもない。なぜなら、のせられる人も、隠したいことはどしゃべりたい話だからである。 (神津カンナ「その人のどこが人を魅きつけるのか」) * リードする:導く 問:「自分」に当たるのはどのような人か。 1. 相手をその気にさせる人。 2. 馬を水飲み場へ行かせる人。 3. のせられる人。 4. 聞き上手な人。
正解:3読解第二种类型名詞の同一内容語を問う問題 死体ははたしてだれのものか。 自分 のものだとしても、死んだ後では所有権を実際に自分で主張することはできない。法的にはそこはどうなっているのか。それを私は、じつはしらないのである。 職業柄、年中扱っている「 もの 」の、所有権が不明である。そんなことで、よく仕事が勤まる。そう怒られそうだが、むろん常職的には、死体は遺族のものである。 (養老孟司「死体の市民権」) 問1:「自分」とはだれか? 1. 死んだ人。 2. 死んだ人の親。 3. 死んだ人の子供。 4. 解剖する医者。 問2:「もの」とは何か? 1. 法律 2. 権利 3. 死体 4. 職業
正解:1 山岳部員の大学生が休みに、部長に一応登山届けを出した上で、普通なら初心者でも比較的楽に登れる山に単独登山し、運悪く遭難してしまったような場合に、息子の遭難の責任は単独登山を許可した側にあるとして学校と山岳部長が両親に訴えられ、巨額の賠償を求められるケースもないわけではないと聞いてはいた。しかし、訴訟会社のアメリカやヨーロッパならいざ知らず、この日本ではそんな不運なケースはめったにはあるまいと思っていた。各種の会社活動で、リーダーや世話役が絶えずそんな裁判の被告人になる不安の中で毎日を過ごさねばならないとしたら、善意のボランティアはいなくなっていまうではないか。ああ、それなので、後輩や先生の頼みを断り切れず、忙しい時間を割いて母校陸上部のコーチをしてきたこの私自身が こうしたケース に遭って苦労することになろうとは……。 * いざ知らず:わからないが 問:「こうしたケース」とはどんな場合か 1. 普通は考えられないようなことで、運悪く事故に遭ってしまった場合2. 訴訟会社であるアメリカなどで事故が起こった場合3. 事故の責任者として訴えられた場合 4. 善意のボランティアがいなくなってしまった場合
正解:3 死体ははたしてだれのものか。 むろん常識的には、死体は遺族のものである。 しかし、ちょっとご想像いただくとわかるはずだが、遺族というのは、しばしば単数ではない。遺産相続のばあいなら、子供にはずべて、平等の権利があるはずである。「ヴェニス商人」ではないが、それなら肉何ポンド分の権利が、それぞれの子供にあるか。 そんな議論は 、聞いたこともない。 (養老孟司「死体の市民権」) 問:「そんな議論」とは、何についての議論か 1. 死体を分けること2. 子供を分けること3. 遺族を分けること4. 家族を分けること
正解:1 わたしももう48歳で「お若いですね」とお世辞を言われるような年頃になった。……そのようなことを言われはじめるのは、人々にわたしが老人と見られはじめたということに過ぎないからである。 それは、自分が自分を見る場合にも言えることで、……。……たいていの老人は自分は実際の年齢より……若いと信じている。 たしかに老化の進み具合は人によって異なり、年齢の進み具合と必ずしも一致しないが、ほとんどの老人が実際の年齢より若いということは論理的におかしな話で、それなら実際の年齢どおりに老けている老人の方が例外だということになってしまう。 そんな馬鹿なことはない。 (岸田秀「不惑の雑考」) 問:「こんな馬鹿なこと」とは、どのようなことか 1. 老化の進み具合は人によって異なること2. 精神的にも肉体的にも自分は若いと信じていること3. 実際の年齢どおりに老けている老人が例外になること4. 年をとると、「若いですね」とお世辞を言われること
読解第一种类型指示語の内容を問う問題 ……いったんシャッターを押してしまうと、目の前の佳景をしっかりと観賞し、記憶に留め置くという作用がどうしても甘くなる。……。カメラがないとなると、観賞法そのものもおのずと厳しくなる。余計なことを考えずに済むから、心ゆくまで賞味することができる。 しかも、これから先に述べることは自分でもはっきりと断定できない微妙な心の作用なのだが、カメラがなければまのあたりに見たことをハーフ·メードの形で文章化しておくという仕事も、無意識のうちでやってしまうようだ。……。 こんな作用 は一般の人々にはあまり必要なことではあるまいか、旅先で写真を撮ることにばかり夢中になっている人を見ると、「あんなことで風物をよく観賞することができるのだろうか」と、不思議に思わないでもない。 (阿刀田高「左巻きの時計」) 問:こんな作用とはどのようなことか。1. 風景をある程度文章にして記憶すること。2. 風景を深く観賞し、記憶にとめること3. 風景をテーマに小説やエッセイを書くこと4. 風景の写真を撮ることに疑問を感じること[ 本帖最后由 倚楼听风雨 于 2008-8-18 10:20 编辑 ]