一直看到有人问有没有申请家族滞在的理由书可以参照,从我申请老公的在留到收到在留,1个半月。现在正在签证的等待中。当时也是花了一点时间写理由书的。现在贴上来,希望对正在申请和即将要申请的朋友有点用。祝大家好运:) 理 由 書私と夫の知り合いは、12年前の1994年である。二人とも中学生だった。同じ中学校へ進学のため、縁が始まった。進学後、成績が優秀のため、二人ともAクラスに入った。その後の3年間はずっと同じクラスだった。私の席は、夫の後ろであった、成績を追ったり、追われたり、二人は、仲間になった。中学校卒業後、二人は、違う高校へ進学したが、夫は、ほとんど毎日私の帰り道でまって、私を家まで見送りすることにした。「最近学校はどうですか、いい点数とったか。なにが面白いことがないか。家のワンちゃんは昨日7匹産んだどか」恋は、其の時から始まった。そして毎年の夏休み、必ず二人でどこかへ旅行へ行く。私も夫も、それは一番幸せなことだと思った。時々友達から「羨ましいなぁ」という声が聞こえた。そして自分が短大へ進学し、夫も、私に近くの大学に入った。家に遠いため、両方の親の認めをもって、二人で学校に近くのアパートを借りて暮らし始めた。恋は始め早いからしかも知り合ってから6年経ったので、二人も親も二人の関係を認められた。結婚は、いつかのことだ、とみんなそう思ってた。毎日、帰りの早い人ご飯を作って、相手が帰る前ずっと待つ。週末になったら美術館や図書館、映画館へいく。本当に楽しかった生活だった。もちろん幸せな生活はすごし速かった。私は短大から卒業した。いつも学業と愛情両方とも重視してる私は、学業を選んだ。もっともっと知識を学ばないと将来は普通の生活を暮らすしかないと深く感じてた。中国は人口が多く、短大を卒業してもいい仕事を見つけにくいから、ちょうどそのとき、日本にいる叔母さんも何回も私を日本に留学することを誘ったし、夫と離れ、日本に留学することにした。最初はけっこう辛くて、電話とメールばかりだった。でも、せかく日本に着たのに、いい成績を取らないと、大好きな人と離れる意味がなくなるじゃない?と私はよくそう自分に言う。 だから、日本語学校にいるうちも、いつも出席100%、成績優秀で奨学金をもらうこともあった。自分に厳しくすることは、二人を早く会えるためだった。今年のお正月、私は国に一時帰国ことにした。空港で、プロポーズされた。驚きながら、嬉くれ、「YES」にした。そしてバレンタインデイの2月14日、私の戸籍所在の民政局(区役所)で結婚届けをだした。大好きな人の妻になった。3週間をたって、私は日本に戻らなければならなっかた。見送りにくれた夫は、初めて私の目の前で泣いた。「いつか君と一緒に暮らせるかな」は、空港で最後の声だった。日本に戻って、また、二人は好きな人を傍にいられない生活を暮らしてた。4月のあたま、新学期が始まって、学校の留学生交流センターへ結婚のことを登録へ行くとき、先生から「夫の家族滞在ビザ」を申し込めるよ、ちゃんと書類揃えて、入管へ出せば。と教えられた。すごく嬉しかった。すぐ新百合ヶ丘の川崎出張所へいって、必要な書類のリストをいただいた。 今回は、いつもお世話になってる叔母さんに頼んで、叔父さん(叔母の夫)が保証人(扶養人)になってくれた。実は自分も今までの生活費やご使いは、ほとんど叔父さんからもらってるので、大学に進学前も1年半で叔母さん家族と一緒に暮らした。すごく仲いい家族だった。自分は、今まで、通学に便利のため、学校の寮に住んでるが、夫の在留を着た次第、また叔父さんに頼んで、学校の近くのアパートを借りて二人の生活の準備をする。夫も、日本に来るため、半年ぐらい上海にある日本語学校に通って、日本語の勉強をしている。二人は、本当に一緒にいることを心をこめて祈っている。どうも長い読みにくい文章をお読みいただき、本当にありがとうございます。どうもよろしくお願いいたします。